スエズ運河
やっと、スエズ運河の通航再開したそうですね~、関係者の方々お疲れ様です。
賠償金やらなんやら重たい話題はいろいろあると思いますが、今日はそっちの話ではない方向性の話をしていこうかと。
まだ通行再開できなかった間に、多くの大型船はスエズ運河を通るルート以外への航路変更を余儀なくされました。そこで採用されたのは「喜望峰」経由のルートです。
なんか聞いたことあるなと思ったら、中学の歴史で習ったやつだ!!ってなりました。
あれです、大航海時代にマゼランがインドへの航海中に寄った場所です。そこを経由することで、マゼランはコロンブスがたどり着けなかったインドにたどり着けた、そういう歴史に大きく関わる場所です。
フランスによってスエズ運河が掘削された後は、当然ヨーロッパ~インドのルートは短縮されました。なので、今回の喜望峰経由のルートってのは遠回りで大航海時代を思わせるアツいルートだなあと思っていたら、どうやら、コロナ禍においてはすでに再び脚光を浴びていたそうです。
というのも、コロナ禍において需要が減った産業の大型船は、速く大量のモノを運ぶ必要が無くなったので、通行量が高いスエズ運河経由のルートを選択する必要がなくなったんですよね。一方、喜望峰経由のルートは遠回りではあるが、通行量の観点から見てもコロナ禍においては長い目で見ると安上がりだそうです。
それでも、このスエズ運河の大型船座礁の騒動においては、喜望峰がさらに注目を浴びたでしょうね~~!
スエズ運河に関するもう一つの面白いお話も、
先ほどフランスが、スエズ運河を掘削したといいましたが、当時、イギリスはこれに猛反対。喜望峰ルートの意味がなくなると思ったからだそうです。
いざ開通するとイギリスは手のひらをひっくり返し、スエズ運河の買収をする方向に向かいました。
なんで!と思うんですが、当時イギリスは海洋覇権を握ることに躍起になっていて、掘削をしたフランスにスエズ運河の利権が渡ってしまうと都合が悪いと考えたのです。
フランスに利権が渡るかもしれないという情報を渡したドイツのロスチャイルドに、イギリスはスエズ運河の利権を獲得するべく大量の借金をしました。あまりにも巨額であるため、担保も用意しなければなりませんでした。
その時に、イギリスが提示した担保は「イギリス自身」だったのです。
利権の獲得のために自信を犠牲にする覚悟、これまたアツいですね~
今回はここまで!!